鍵本の経歴を見た方から、よく聞かれることがあります。
 
「なぜ大学病院で研修せずに、外に出たんですか?」「救急や循環器をやっていたのにどうして糖尿病の専門医になったんですか?」
 
医師になった時に志したのは、「どんな時でも目の前にいる患者さんの力になってあげられる医者」です。そのためには、狭い専門領域のことしかわからない医者にはなりたくない。かといって「広く浅く」では本当に役に立つとは思えません。そこでイメージしていたのは、「広く深い」知識と技術をもったプライマリケア医です。
 
そのためには大学病院で珍しい病気を少数診るよりも、より多くの症例に触れることが出来る救急病院で研修する方がいいと考えました。もちろん、いくら「多くの症例に触れる」といっても、優れた技術と情熱を持った指導医がいなくては、話になりません。私が卒業した当時、舞鶴市民病院は瀬戸山院長、松村医局長(現音羽病院院長)のもと、卓越した臨床教師であるG.C.Willis先生(カナダ人)を招聘して、まさにその環境ができつつあったのです。365日24時間態勢の救急病院は見るからに大変そうでしたが、「ここでならしごかれ甲斐がある」と感じて、飛び込んで行きました。
 
舞鶴に在籍した4年間は(途中の千葉、カナダでの研修留学期間も含めて)急性疾患の治療に必死で取り組みました。これは私にとって今でも極めて大きな財産となっています。5年目以降さらに深く医学を学んでいこうと考えたときには、そのまま循環器を中心とした道に進むべきか迷いました。しかし、救急患者さんを多く診るうちに、「救急の事態に至らないよう防ぐことも大切なのでは」 「そのためにはもっとじっくり患者さんの人生に向かい合うような医療を学ばなければならない」という気持ちも生まれていました。
 
そこで、上に書いたような初心を思い出し、慢性疾患である糖尿病に取り組もうと決心し、当時京大病態栄養部(現 糖尿病・栄養内科)を主宰しておられた清野裕先生(京都大学医学部名誉教授、関西電力病院院長、日本糖尿病協会理事長、、日本病態栄養学会理事長、日本糖尿病学会常務理事、国際糖尿病連合西太平洋地区チェアマン)の研究室の扉をたたきました。

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